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飯田市立飯田東中学校

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飯田東中学校

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東中の宝③ ―坂村眞民さんの書―

 本校には、卒業記念品・在職された校長先生方からの寄贈品が数多く所蔵されています。その中で、本校生徒はもとより、在職する職員の心の支えにもなる言葉がしたためられた額を、今回は「東中の宝③」として紹介します。それは、坂村眞民さん揮毫による書額3点です。

ca3a0952 「今」と題されたこの書額は、生徒昇降口に掲げられているものです。

 今

 大切なのは

 かつてでもない

 これからでもない

 一呼吸 一呼吸の 今である

 本校は丸山小学校とともに隔年で、郡総合展覧会の会場になります。郡展の折、本校を訪れた方は見覚えのある書額かもしれません。解説不要、まさに「今」というものの意味を、いのちの根源というところから喝破した素晴らしい詩だと思います。「歴史」というものの意味をも、この短い詩は雄弁に物語っているように思います。

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 「めぐりあいのふしぎに てをあわせよう」

 非常に短いこの詩は、職員玄関脇に掲げられているものです。坂村眞民さんは、一遍上人の生き方に私淑していたそうです。この短い詩は、仏教における人間観を背景にした作品の1つかと思われます。この詩が、職員玄関脇に掲げられていることに、この書額を寄贈された本校元校長・鋤柄郁夫先生のねがいが込められているようにも思われます。執筆子自身、毎朝この書額の脇を通って職員室へ、研究室へ、教室へと足を運んでいますが、そこで出会う同僚の先生方、生徒の皆さん、保護者の皆さんとの「めぐりあいのふしぎに てをあわせよう」という謙虚さと感謝の念を持てているのか、内心忸怩たるものあります。反省…です。

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 「深海の真珠のように ひとりひそかに 自分を作ってゆこう」の書額。これは、本校図書館に掲げられているものです。まさにこの詩も、「思春期のただ中にある生徒たちがひしめく中学校の図書館」という場所にぴったりな言葉だと思います。「自分」とか「個性」とかという言葉で表現されるものを育み、確立していくのが思春期という時代であるとするならば、思春期という時代は、それを育み、確立しようとする者たち=青少年たちに相矛盾する場面での葛藤を求めます。それは、「ひとりである」場と「ともにある」場のふたつです。「自分」とか「個性」というものは、唯一性を前提とするものですから、「自分」とか「個性」というものは個的・個性的存在=「ひとり」でなければなりません。しかし、その個的・個性的存在を、文字通り個的・個性的たらしめる条件として、自分を真に「自分」たらしめるために、他者と「ともにある」ことが、これまた不可避に要請されます。「深海の真珠のように ひとりひそかに 自分を作ってゆこう」の詩は、「心の中の真珠」であるところの、個的・個性的な存在である「自分」「個性」が「ひとりひそかに」育まれる場が、他ならぬ図書館=「本の館」であることを訴えているのだと思います。そして、言うまでもありませんが、前出の「めぐりあいのふしぎ」がひしめく教室・部活動などが、やはり「自分」「個性」を育むに必須の場たる「ともにある」場であることは、言うまでもありません。

 本校には、まだまだこういった珠玉の言葉たちが、校舎のそこかしこで、受信者たる私たちの受信能力が高まるのを静かにひっそりと待っています。ですから執筆子も含めて本校に学ぶ者は、「文字は読めるけれど、意味がわからない」という「宝の持ち腐れ」状態には、決してなりたくないものです。

 坂村眞民さん(1909~2006年)は、高校の教師であり詩人であった方です。時宗を開いた一遍上人の教えに私淑し、一遍上人が「南無阿弥陀仏」と書かれた札を多くの人々に配りながら踊念仏を広めたことにならい、『詩国』『鳩寿』という月刊詩誌を1200部発刊し、無償で配布し続けました。2年前、97歳で亡くなられました。「念ずれば 花ひらく」の詩碑は、海外・国内含めて700基近くあるそうです。戒名は、「詩国院朴阿眞民居士」。

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