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飯田市立飯田東中学校

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飯田東中学校

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2009 年 6 月 のアーカイブ

1974年10月17日 ―校長講話より―

e8ac9be8a9b1e69c80e5889d 昭和49(1974)年10月17日。この日は、飯田東中学校の校史において、特別な意味を持ちます。それは、本校が放火による火災で、校舎の多くを焼失した日だから、です。しかもその放火が在校生によってなされたということも、この日を本校にとって特別な日たらしめている要因だろうと思います。

 

 

ca3a094329日(月)の校長講話では、この不幸な火災という出来事から、「困難や苦しみ、悲しみをの経験を分かち合い、不屈の精神で復興に勤しんだ先輩たちの姿」に学ぼう、とのお話が、北澤校長先生からありました。

 昭和50年3月発行の『不死鳥の如く』(飯田東中学校学友会発行)5ページ「火災の概要」を抜粋すると…

 1 発生日時 昭和49年10月17日(水) 午前二時頃発火 午前3時1分鎮火

 2 発生場所及び焼失場所 第4校舎東側渡廊下から発火し、第4校舎、旧体育館、便所、作業室、粘土機械室、第3校舎東半分、石炭置場 等全焼

 3 火災の程度 ①焼失面積 約2700㎡ ②損害総額 約8000万円 ③焼失設備・施設関係 第3校舎東半分(3年1組 3年2組 3年3組) 第4校舎(3年4組 3年5組 3年6組) (後略) ④焼失物品関係 りんご並木資料 学友会資料 クラブ活動関係資料(優勝旗・優勝楯等)

 4 火災の原因 本校2学年男子生徒の放火 家よりポリタンクに灯油を運び、第4校舎渡廊下にまき、マッチにて点火。

e8ac9be8a9b1e794a8efbc92 淡々とした事実記述からは、逆に生々しいこの放火による火災という不幸な出来事の、本校にとっての重い意味がじわじわと伝わってきます。

 本校が火災後、どのようにして復興の足跡を記していったのかが、『不死鳥の如く』には、赤裸々につづられています。その中で、火災時に学友会長であった森山聡さんは、次のような言葉を残しています。

 「火災と言うことは、たいへん悲しい災害であったわけだが、裏を返せば、このような大きな障害に突き当たって、それを乗り越えて更に飛躍していくということに関して、私たちは、東中の本当の力強さ、あるいは東中が多くの人々から見守られているということを、知ることができたと考えることができないだろうか。

 東中精神とは、いかなることがあっても、揺るぐことのない不屈の精神だと思う。それを再確認できたことは、大きなプラスになる面があったはずである」

(『不死鳥の如く』2ページより抜粋)

e4b88de6adbbe9b3a5e381aee5a682e3818f 1947(昭和22)年4月の飯田大火後、街の復興のシンボルとして造られた「りんご並木」を育て守ってきた飯田東中学校が、学友の放火と言う深刻な原因から火災に見舞われ、「りんご並木」に関する資料をすべて失ってしまったという皮肉。歴史とは何と残酷なことをするものか…と嘆息せざるを得ないところもあります。しかし、学友会長の森山さんは、その悲しい出来事を「揺るぐことのない不屈の精神」である「東中精神」を「再確認できたことは、大きなプラスになる面があった」と語っています。ここに、飯田東中学校における古くて新しい「永久の宿題」たる、「伝統とは何ぞや」という問いかけへの答えの1つがあるように思われます。

 執筆子にとっては、学友会長だった森山さんの言葉の重みもさることながら、当時の学校長であった倉田利久先生の残された短歌に、背筋の伸びる思いがしました。

 「苦しみのなをこのうえにつもれかし かぎりある身のちからためさん

  昭和49年11月17日 古歌を思いて  倉田利久」

 「このような覚悟が今の自分にあるのか?」と問われると、即答できない自分がいます。火災から35年。現在の東中に「不屈の精神」たる「東中精神」は、いかなる形と心となって存在しているのでしょうか。考えたい課題であると思います。

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「試合」とは「試し合い」のこと ―南信大会壮行会―

ca3a0932 26日(金)の朝の活動の時間、中体連南信大会壮行会が行われました。出場する個人・団体は、男女ソフトテニス部、柔道部、剣道部、水泳部、新体操部です。

 男女ソフトテニス部は岡谷市で、柔道部は辰野町で、剣道部は松川町で、新体操部は波田町で、それぞれ大会が行われます。月並みな言い方ではありますが、とにかく、選手の皆さんには、これまでの練習の中で培ってきた心・技・体を存分に生かし切った競技・演技をしてほしいと強く願います。

ca3a0934 壮行会に参加しながら、改めて「『試合』とは何か?」と、みずからに問うてみました。「試合」とは、文字通り「試し合う」ことに他なりません。では、何を「試」すのか?これもまた言うまでもありませんが、ふだんの練習の中で培ってきた「取り柄」なり「ウリ」なり「得意技」を「試」すことになるのでしょう。でも、ここでちょっと立ち止まります。これだけだったら、「試技」と表現すればいいはずです。でも、「試合」とわざわざ書くのはどうしててでしょうか?ここに、「試合」というものの本質が見えるのではないかと思います。つまり、「相手」なり「他者」の存在が、「試合」という言葉の背後にはちゃんとある、ということです。そう言えば「競技」ということばにも「競う」という、「他者との技のくり出し合い」という語感があることにも、気づきます。

ca3a0938 どんなスポーツ、どんな芸術的活動においても、ひとり一人の技能やパフォーマンスの向上には、実に孤独な「ひとりだけ」の、人知れぬ努力が不可欠でしょう。しかし、それらの活動そのものは、競技者・表現者の存在「だけ」では、それそのものが成り立たないという側面もあわせ持っています。つまり「自分以外の誰か」=「他者」の存在あってこその、その競技・その表現だ、ということです。ここに、競技中あるいは表現中における当事者どうしの「感謝の表われ」の必然性があるのだと思います。

 中体連南信大会に駒を進めた選手の皆さんは、壮行会で異口同音に、これまで取り組みに関わって下さった方々への「感謝の念」を語っていました。このことは、「試合」という言葉の背後にある意味をかみしめているからこそ、だと思います。どうか試合会場では、直接対面する、初めて出会い、ひょっとすると人生最後の出会いになるかもしれない「その人」への、「試合」という一期一会の出会いへの感謝を込めた、礼を尽くしてほしいと思います。それこそが、北澤校長先生が壮行会で話された「一流の姿」に迫るあり方なのではないかと思います。

 選手の皆さん、どうぞケガなく悔いなく爽やかに、飯田東中学校の代表としての「試し合い」、ぜひして来て下さい。

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「りんご並木はうれしかったかな?」 ―第2回全校並木作業―

img_2652 25日(木)の5・6時間目の総合的な学習の時間に、第2回全校並木作業に取り組みました。今回は、下伊那農業高校の生徒の皆さんと一緒に、「りんご並木」にある花壇に、サルビア・ペチュニア・マリーゴールドの定植を行いました。梅雨の晴れ間で蒸し暑さもありましたが、「りんご並木」に寄せる生徒の皆さん、地域の皆さんの思いが通じたのか、風も適度に吹き、日差しも立ちくらみがするほどの強さもなく、快適に作業に取り組むことができました。

 作業のようすを見ていると、実に微笑ましい姿がたくさんありました。ふだん、男女を意識しすぎてなかなか会話のできない生徒の皆さんが、定植作業の中でごく自然に、しかも実に楽しそうにやりとりをする場面が、たくさん見られました。また、下伊那農業高校の生徒さんたちも、明るくさわやかな笑顔と雰囲気で、中学生に実に自然に関わって下さいました。本当に、本当にありがたいことでした。

dsc00415 花の定植を終えた後は、お待ちかね(?)の除草作業です。前回、1年生のようすを見ていると、口ばかり動いていて、なかなか手際がはかどらない生徒の皆さんが多く見られました。そして今回は…めあてをしっかり持ち、前回の作業の反省を生かそうという気持ちが幸いして、「まあまあ」の取り組みができたようです。でも、「まあまあ」程度の取り組みでは、「ここは、自分がこだわった場所だ」という強い思いは生まれないように思います。

 並木作業を終えて1日たった26日(金)、1年生のMさんは、前回紹介した同級生の並木委員Sさんの書いた日記に応えて、次のような日記を書いてくれました。

 「りんご並木作業がありました。Sさんのいっていたとおり、私は、並木のことを少し忘れていました。だから今日は、いっしょうけんめいがんばりました。わからないところは、高校生の人たちがやさしく教えてくれたので、うれしかったです。最後に、除草作業をやって、けっこうキレイになりました。りんご並木は、うれしかったかな?

dsc00448 並木委員の皆さんの頑張りや呼びかけにふれ、自分の「りんご並木」へのかかわりを見つめ直し、今回の並木作業に一生懸命取り組んだMさん。Mさんの中で、「りんご並木はうれしかったかな?」という、とってもステキな心の動きが生まれたことが、1週間のたまった疲れと心のよどみを一掃する「清涼剤」のように感じられました。

 

※写真下は、「りんご並木」が造られた当時植樹された50年木。

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「縁の下の力持ち」並木委員の皆さんの活躍

p1010171 23日(火)の定例学友会の時間。テスト真っ最中ということに加えて、炎天下じめじめむしむしの暑さの中、並木委員会の皆さんと顧問の先生方が、勇躍「りんご並木」へ向い、繁茂する雑草の除草と、並木花壇の施肥を行ってくれました。本当に、頭が下がります。ありがとうございます。25日(木)に予定されている第2回全校並木作業が、これで安心して行えます。こういった「縁の下の力持ち」的な活動が、「りんご並木」を支えています。

 1年生の並木委員のSさんは、今日の日記に次のようなことを書いてくれました。

 「【並木】最近みんな、並木のことを忘れていませんか?今日、並木委員で25日のための作業をしてきました。その時、2回目の摘果作業が『されていました』。だれがやったのか聞くと、プロのアドバイザーさんたちが、やってくれたそうです。みんなは知らないと思うけど、知らないところで、りんご並木をきれいにしてくれる人がいるんです。だから、並木のことを忘れないように!!」

dsc003891 「縁の下の力持ち」である並木委員さんが、さらなる「縁の下の力持ち」の存在に気づき、それをクラスの仲間に知ってもらおうと呼びかける姿がある。飯田東中学校で、なぜ50年以上にわって「りんご並木」を守り伝える取り組みが続けられてきたのか?そのことに対する「回答」の1つを、Sさんの日記からうかがい知ることができます。それはつまり、「見えないものを見る力」と、「見えないけれど大切なもの感じ取る力」の存在です。

 言い古された言葉ですが、「大切なものは、目には見えない」。かの『星の王子様』の中で狐が語るセリフです。まさに、23日の並木委員さんの取り組み、下伊那農業高校の皆さんのご協力、並木に関わる多くの市民の皆さんのご援助などなど、すべてが「縁の下の力持ち」となって、「りんご並木」を飯田市のシンボルたらしめているのでしょう。

 願わくは、こんなステキな心遣いが天に通じ、25日が晴天となり(できれば涼しく…)、第2回全校並木作業ができますように…。

※写真下は、23日の並木委員による作業で拾ってきた、摘果されたりんごの実。背景は、テストに必死で取り組む生徒たちの姿。

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「歌う」とは「訴う」こと ―全校合唱「大地讃頌」の練習に思う―

dsc00384 23日(火)の5時間目、全校音楽練習がありました。学芸会の全校合唱で歌う「大地讃頌」のパート練習でした。生徒の皆さん、ここ最近の暑さに加えて、テスト最中ということもあって、合唱をするコンディションとしては、身体的・精神的に今一歩という雰囲気があったように思われました。

 さて、この「大地讃頌」。作曲されたのは、今から47年前の昭和37年。作詞は大木惇夫さん、作曲は佐藤眞さん。混声合唱のためのカンタータ『土の歌』の第7楽章(最終楽章)が、この「大地讃頌」です。「大地讃頌」と言えば、執筆子も中学生の頃、全校合唱か学年合唱の時に歌いました。その時に覚えたバスパートは、今、生徒の皆さんと歌う時にも、健在です。きっと、保護者の皆さんの中にも、「あ、『大地讃頌』なら、私も中学の時に歌った。懐かしいなあ」と思われる方も多いかも知れません。

dsc00385 ちなみに楽曲の構成です。第1楽章は「農夫と土」、第2楽章は「祖国の土」、第3楽章は「死の灰」、第4楽章は「もぐらもち」、第5楽章は「天地の怒り」、第6楽章が「地上の祈り」、そして第7楽章が「大地讃頌」、となっています。

 作詞者の大木惇夫さん(1895~1977)は、広島出身の詩人。戦時中は「戦争詩」(戦争を賛美・鼓舞する内容の詩)を数多く作詞し、活躍したようです。そのため戦後は、そのレッテルから不遇な時代を送ったようです。ただ、戦後の作品の中には、反戦・非戦を訴える内容のものも多く、『土の歌』もその作品の1つに数えられるものと思われます。広島の平和公園にも、大木さんの広島原爆の犠牲者に捧げた鎮魂詩を刻んだ記念碑があるそうです(「鎮魂歌・御霊よ地下に哭くなかれ」)。作曲者の佐藤眞さん(1938~)は、日本を代表する作曲家のひとり。驚くことに、「大地讃頌」を含む『土の歌』が、作曲家としてのデビュー作。若干24歳の時の作品です。才能とは、年齢にあらずを体現するような事実です。

日本合唱曲全集「土の歌」佐藤眞作品集 「土」とはいったい、私たちにとってどのような存在でしょうか。第7楽章「大地讃頌」の冒頭では、「母なる大地」と歌っています。第1楽章では、「人みなのいのちの糧(かて)を創り出す土」とも歌っています。大木さんがこの『土の歌』という連作詩に込めたねがい、あるいは「土」というものへの思いは、今となっては推し量ることしかできません。ただ、キーワードとなる言葉を詩の中から探すと…「感謝」という言葉になるのかも知れません。

 「国破れて山河あり」とは、杜甫の「春望」の一節ですが、大木さんの胸中にもこの思いがあったのかもしれません。大きな犠牲を払った太平洋戦争が終わり、確かに残ったもの。それは、「土」だった。その「土」がある限り、いのちあるものは生きることができ、そして平和を再び築くことができる、生きることの根源にある「土」に、心から感謝と讃頌の念を持たざるを得ない…。そんな強いねがいが、「地の上に花さく限り よろこんで日ごと営み 悲しみも耐えて生きよう」(第6楽章「地上の祈り」の一節)という言葉に凝縮されているように思います。

 「りんご並木」を支える活動の中で、「土」との関わりをたくさん持つことができる東中生の皆さんには、「大地讃頌」を歌うことを通して、詩人・大木惇夫のねがいとそれに応えて不朽のメロディーをつけた作曲者・佐藤眞の「訴え」を受けて、心の底から「訴う」ような「歌」を実現してほしいと思います。何せ、「歌う」は「訴う」が語源だそうですから。 (さらに…)

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期末テスト1日目終わる ―学びて時に之れを習う―

dsc00377 23日(火)は、1学期期末テスト1日目でした。1年生にとっては、中学校入学後、初めて挑む定期テスト。2年生にとっても、「先輩」として取り組む初めてのテスト。3年生にとっては、勝負の夏休み前、最後のテストでした。それぞれの学年の皆さんにとって、大変に重い意味を持った定期テストでした(…実際に生徒の皆さんにその自覚があったのか否かは、テストの結果を見ないとわかりませんが…)。

 『論語』の冒頭、かの孔子の以下の言葉が出てきます。

 学びて時に之れを習う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや。

 朋遠方より来るあり、亦た楽しからずや。

 人知らずして愠(いきどお)らず、亦君子ならずや。

 (一度学べば、それでわかったような気がする。しかし、実際には、よくわかっていないものである。ところが、学んだことを折りにふれて復習・練習してみると、真の意味がわかってくる。体得するわけである。その体得のよろこびこそ、学ぶことの、まことのよろこびなのだ。

 遠く離れたところに住んでいる友が、思いもかけずたずねて来てくれる。こんなうれしい、楽しいことが、ほかにあろうか。

 自分を理解してくれない、あるいは、実力を認めてくれないということがある。それは、人生行路においてありがちなことだ。そういうばあいにも、心にいきどおりをいだかず、平静おだやかに、みずから信じる生き方ができる人―そういう人こそ、すぐれた人物と言えるのではないか。 諸橋轍次『中国古典名言事典』、1979年、講談社 より)

dsc00381 まさに、毎回のテストを、「学びて時に之れを習う」ことの真の意味が理解できる、定期テストにしてほしいと思います。テストの「その時」に、「できた・できない」という刹那的な判断基準に惑わされて一喜一憂するのではなく、テストの「その時までに」、自分は「学びて時に之れを習う」をどれほどできたのか?ということを問える、東中生であってほしいと思います。

 明日も期末テストは続きます。生徒の皆さんの「ここまで」に積み重ねてきた「学びて時に之れを習う」を、実感できる答案を、先生方は心から待っています。

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地域の皆さん 保護者の皆さん ありがとうございました

ca3a0925 21日(日)は、朝からどしゃ降りの雨。この日に予定されていた資源回収は、前もって延期となっていました(インフルエンザ対策のため)。しかし、地域の皆さんへお知らせを事前に差し上げていたこともあり、本校職員とPTA施設部の皆さんが中心となって学区内を手分けしてトラックで廻り、収集場所に出された資源物の回収を行いました。

 

ca3a0924 容赦なく降りつける雨には執筆子も閉口しましたが、天候に文句を言ったところで、雨あしが弱まったり、止んだりするわけでもありません。ずぶぬれになりながら、学区内を同僚のS先生と廻りました。

 この悪天候のせいでしょうか、ちょっとした気遣いが嬉しく、実に身に沁みました。激しく降りつける雨に、出した資源物が濡れないようにと、軒下にわざわざ資源を出して下さった方。体調が思わしくないのにもかかわらず、今日のために資源物を整え、やはり雨に濡れないようにガレージの中に置いて下さった方。さらには、雨に濡れるのも厭わず、学区内各所から集めてきた資源物を、学校の資源物回収室に運び入れて下さる保護者の皆さん。

 「PTAの決められた行事だから」という一言では説明がなかなかつかない、気遣いと「愛他」の気持ちに満ちた、ごくごく自然なふるまいやかたち。こういったものが満ちる地域こそ、かの岸田國士の残した名詩「飯田町に寄す」に詠われた「丘の上」のあり様なのでしょう。

 (前略)

 飯田 ゆかしき町

 家々みな奥深きものをつつみ

 ひとびと礼にあつく

 軒さび甍ふり

 壁しろじろと小鳥の影をうつす町

 (中略)

 よそほひはかたちにあらず

 美しく 静かに

 ゆかしく 豊かに

 おんみの心をこそ新しくよそほひたまへ

image0022 午後になると、午前中のどしゃ降りが嘘のように、梅雨の晴れ間が「丘の上」の頭上にも広がりました。「丘の上」が心なしか、「美しく 静かに ゆかしく 豊かに」見えたように、執筆子には思われました。

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学校目標「自主」の育つ場とは?

ca3a0921001 20(日)土曜日、飯田スイミングをお借りして、本校「水泳部」の皆さんが7月5日(日)に行われる中体連南信大会にむけて、自習練習を行いました。4名の「水泳部」員が1時間15分の間、ムダやたるみの一切ない、引き締まった練習を目の前で見せてくれました。

 「水泳部」と、なぜ「」づきで表すのか?それは、本校には正式な部活動として水泳部が存在しないからです。今回、中体連南信大会に出場する4名の皆さんも、校内では別の部活動に所属しています。しかし、同時にスイミングクラブに所属し、週に何日間もの厳しい練習を重ねているのです。

 本校には実は、「水泳部」以外にも、「新体操部」「陸上部」も存在しています。この「部」に所属している生徒の皆さんは、それぞれクラブチームや自主的な練習を重ねる中で実力を高め、中体連の大会には「飯田東中学校」の代表として参加しています。また、中体連加盟の部活動以外に、バレエやバトンなどの競技にいそしんでいる生徒の皆さんも、実はいるのです。

ca3a0919 「水泳部」の皆さんの練習する姿を見ながら、ふだん見知っている生徒さんであるにもかかわらず、その言動が、何かすごく大人びて見えることに気づきました。今回、執筆子はたまたま、「水泳部」員のKさんやTさん、Sさんに「先生、練習を見に来てよ」と誘われて、単純にその場に居て、ただ見ていただけの役目です。ですから、「水泳部」員の皆さんは、純粋に彼らだけの思考と判断に従って、1時間15分間の練習時間を充実したものにしたわけです。どうして、こんな自主性に富んだ姿が生まれたのでしょうか?

 ふと、プール脇のホワイトボードに貼られた言葉が目に入りました。「ああ、これか」と思いました。そこには、こんな言葉が記されていました。

 今こそ出発点

 人生とは毎日が訓練である

 わたくし自身の訓練の場である

 失敗もできる訓練の場である

 生きているを喜ぶことのできる訓練の場である

 今この幸せを喜ぶこともなく

 いつどこで幸せになれるか

 この喜びをもとに全力で進めよう

 わたくし自身の将来は

 今この瞬間 ここにある

 今ここで頑張らずにいつ頑張る

 「水泳部」の皆さんは、この言葉の尊さを知っているコーチや仲間たちと、学校ではない「学校」で、日々学びを深めているのでしょう。そして、その学びを学校でも活かし、伸ばし、豊かにしているからこそ、「先生」に象徴される「大人」に頼ることなく、「わたくし」を頼りとして話しあい、支えあい、動くことができたのでしょう。

 本校の学校目標の1つである「自主」の現われを、蒸し暑い屋内プールの中で確かに見ることのできた1時間15分に感謝です。

 「水泳部」の皆さん、そして、その他の競技・活動で「飯田東中学校」代表として頑張っているすべての皆さん。晴れ舞台での健闘を祈ります。

(さらに…)

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「一隅を照らす」姿 ―テスト前 放課後のひとこま―

ca3a0912 本校では、1学期中間考査が23日(火)・24(水)の2日間にわたって行われます。そのため、16日(火)から「学習充実週間」が始まりました。

 朝は部活動なし(南信大会出場者を除く)、7時20分から7時50分まで、全学年とも朝学習。放課後も部活動なしで、完全下校となります。今日は特に、特別日課が組まれていましたので(下伊那教育会の中部支会同教科会の予定でしたが、インフルエンザ対策のため中止となりました)、1時30分には生徒諸君は完全下校となりました。これは、やや願望を込めてですが、生徒の皆さんは一刻を争って家に戻り、来週の考査に備えていることと思います…(大丈夫…でしょう…)。

ca3a0913 そんな静かな校内で、数名の生徒の皆さんが教務室で作業をする姿がありました。購買の出納確認をする購買・収集委員会の生徒の皆さんでした。購買当番は、地味な仕事ですが、お金を扱う仕事だけにでたらめは許されません。また、決まった時間に開店・閉店を行わないと、多くの人に迷惑がかかります。信用が要になる仕事です。

 

ca3a0855 「一隅を照らす」という言葉があります。伝教大師・最澄が「山家学生式」の中で述べた言葉です。「世の中の片隅にいながらも、そこ・その場で誠を尽くすことで、そこ・その場を越えて、まばゆい光を周りにも放つような生き方」を示した言葉、とも言えると思います。

 購買当番の生徒の皆さんは、購買室という「一隅」を確かに「照らす」姿を、毎日毎日見せてくれています。だからこそ、飯田東中学校という「世の中」も照らされ、明るくなる。こういった「一隅を照らす」姿が、ここかしこに確かにある学校こそが、「良い学校」なのでしょう。

※写真下は、図書館に掲げられている「一隅照」の文字。「陽泉」の落款が読み取れます。

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感動は人生の窓を開く ―中体連下伊那大会終わる―

dsc00261 13(土)と14日(日)、中体連下伊那大会が盛夏の日差しの中、下伊那地区の各会場で行われました。本校からは、野球・男女テニス・男女バスケット・女子バレー・柔道・剣道・サッカーの各部が出場し、これまでの練習の成果を発揮すべく、懸命にプレーしました。

 執筆子は、サッカー部の引率応援で2日間、喬木中学校・松川中学校の試合会場に詰めていました。サッカー部の皆さんは、3年生のS部長のリーダーシップのもと、実にまとまりのある行動をし、引き締まった試合をくり広げてくれました。また特筆すべきは、1年生の応援です。わずか6名程度の人数ながら、大集団である緑ヶ丘中学校の応援団に引けをとらぬ応援ぶり。実に天晴れな姿でありました。

dsc00254 13日(土)は、竜東中学校に1-0で勝利。その後、緑ヶ丘中学校に3-1で敗北。14日(日)は、飯田西中学校と対戦。「保護者が燃える東西対決」とは聞いていましたが、やはり、お母さん方の声援には、前日の応援以上の熱気が感じられました。さらに、応援にかけつけた本校職員による叱咤激励も加わって、サッカー部の皆さんのやる気も増したのでしょうか。同点終了の後のPK戦で、2-0の結果で飯田東中が勝利。松川中学校会場での試合進出となりました。

dsc00300 会場を移しての対戦。相手は、喬木中学校。前半2点を奪われ、後半にも1点の追加点を許してしまいました。しかし、後半終盤、コーナーキックのボールに3年生K君がヘディングであわせ、それがゴール。貴重な1点が入りました。K君は前日の試合でも、見事な3人抜きドリブルを見せるなど、出色の活躍がありました。試合結果は…3-1で敗北。残念ながら、中体連夏季大会は下伊那大会で終幕となりました。

 本校から南信大会へ進むのは、女子テニス部団体(下伊那地区8位)、男子テニス個人、柔道部団体・個人、剣道部個人の皆さんです。その他の部活動の3年生の皆さんは、これで3年間の部活動の幕引きとなります。しかし、全ての会場で、先のK君のような光る姿が見られたということは、昨夜行われた、本校職員による戦績報告会での顧問の先生方からの涙ながらのお話に、余すところなく語られたところです。

dsc00249 「感動は 人生の窓を開く 椋鳩十」

 この言葉は、喬木中学校校門傍にあった石碑に刻まれていた言葉です。まさに、中体連下伊那大会の各競技会場でくり広げられた「感動」は、競技生活に一区切りをつけた生徒の皆さん、顧問の先生方、保護者の皆さんのこれからの「人生」にとって、新たな「窓を開く」ことにつながるものだったのではないでしょうか。

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